1970年代半ばから後半にかけて英米で勃発したパンク、ニューウェイブの衝撃は日本にも飛び火し、日本初のストリート・ムーブメント、そしてインディーズ・ブームの原点となった「東京ROCKERS」を生んでいる。東京ROCKERSとは、東京・六本木の貸しスタジオ「S-KENスタジオ」で開催されたイベント『Blow Up 東京ロッカーズ GIG』を中心に活動していたバンドの総称だが、リザード、フリクション、ミラーズ、ミスター・カイト、S-KENの5バンドがその代表的なバンドだった。
彼らは1979年3月11日、東京「新宿ロフト」で開催されたライブ『東京ロッカーズ LIVE RECORDING』を収録したオムニバス・アルバム『東京ROCKERS』をCBSソニーから4月にリリース。同アルバムの発表と彼らの活動は大きな話題となり、新たなムーブメントの誕生として、ファンジンや音楽専門誌だけでなく、週刊誌や月刊誌、新聞、テレビ、ラジオなど、多くのメディアが取り上げた。
パンク、ニューウェイブの衝撃は東京だけでなく、福岡をも直撃している。サンハウスを始め、独自の音楽シーンが作られていた福岡だが、ザ・モッズやザ・ロッカーズ、ザ・ルースターズの前身、人間クラブなどは、パンク、ニューウェイブの影響で、その音を先鋭化させていく。
そんな福岡のROCKER達が東京のROCKER達と“共演”する機会があった。実は、1979年5月にリザードとフリクションは『東京ロッカーズ・ツアー'79』として福岡で公演を行っている。まず、5月3日(木・祝)に久留米「香港庭園」で、リザードとフリクションによる“シークレットGIG”を開催。そして5月4日(金)に「福岡大博多ホール」で、ザ・モッズとザ・ロッカーズ、さらに5月5日(土・祝)に小倉「写楽」で、人間クラブと、それぞれ共演している。
特に5月4日(金)の「福岡大博多ホール」での公演は“東京ROCKERS VS 福岡ROCKERS”として、その“対バン”は大きな話題を呼び、盛り上がったという。同イベントの開催にはサンハウスのバンド活動を支えた、福岡・天神の輸入レコード店「ジュークレコード」の松本康も関わっていた。
リザードのMOMOYOは「ロッカーズもモッズも相当に熱いライブを展開していた記憶があります」と、当時を述懐する。そして、「ロッカーズとモッズ、さらに人間クラブからは同時代というか、東京と同じように何かが始まっている、そんな感触を強く受けました」という。福岡のBEATの革命を最初に目の当たりにしたのは東京ROCKERSだったのではないだろうか。リザードはその年の11月28日(水)にアルバム『LIZARD』発売を記念する“西日本ツアー”の一環として「福岡大手門会館」でライブを行っている。同公演は単独公演で、同時に映画『ROCKERS』が上映された。いうまでもないが、同映画はジャマイカ映画『ROCKERS』や陣内孝則の自伝的映画『ROCKERS』とは別物である。「東京ROCKERS」のドキュメンタリーだ。
1980年にザ・ロッカーズ、ザ・ルースターズ、1981年にザ・モッズが相次いでデビューするが、1979年の“共演”は福岡BEAT革命前夜を象徴するエピソードではないだろうか。大きな時代の流れの中に彼らもいた――。
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