いつもはバンドのメンバーとして、また、セッションの要として各方面から声がかかり、忙しく動き回る穴井仁吉だが、今回のライブに関しては、穴井にとっては初の試みだろう。65歳を過ぎて、まだ、“初めて”があるというのは稀有なこと。彼がキャリアに安寧せず、常に前向きに成長している証ではないだろうか。
先日、2月17日(日)に所沢「MOJO」で開催された穴井仁吉、おそらく“初”のソロライブ&トークショー(!?)。ゲストとして共演するのは昨2023年12月に苣木寛之のソロライブをサポートした、「勝手にしやがれ」の武藤昭平である。ギターを携え、全国各地でソロライブに明け暮れるライブ巧者だ。助っ人として、こんな頼もしく、心強いものはいないだろう。
そのライブは開演時間の午後6時30分を10分ほど、過ぎて始まった。最初にステージ上がったのは武藤昭平。この日の幕開けは武藤によるギターの弾き語りである。彼はステージに登場するなり、“穴井さんは博多の先輩です。今日は早めに会場入りして、さっきまで練習していました。歌い過ぎています”と、このライブにかける意気込みを語る。彼のステージは武藤昭平withウエノコウジのアルバム『STRANGERS』に収録された「ヘミングウェイ」から始まった。ギターを弦楽器とし無限のメロディーを奏で、リズム楽器として縦横無尽に弾ける。フラメンコやクラシックな響きに情熱という火を焚べる。武藤は「百足」や「般若心経」、「名前を失くした男」、「ギネスの泡と共に」など、2月29日にリリースする14年ぶりのソロアルバム『名前を失くした男』に収録されたナンバーを中心に歌とギターで観客を震わせる。
大病をして仏教に改めて帰依した武藤だが、オリジナルだけでなく、10年以上前から弾き語りのレパートリーにしていた“般若心経”に曲を付けた「般若心経」というご利益のある有難い曲から、いまは活動をしていない「踊ろうマチルダ」というバンドの隠れた名曲を掘り起こした「ギネスの泡と共に」、最近、サブスク解禁された2010年のソロアルバム『TWO PAIR』 に収録された「ピノキオの鼻」、武藤昭平 with ウエノコウジの乾杯ソング「サル―」、勝手にしやがれのデビューアルバム『WILD ROOM』に収録された「夢をあきらめないで」まで、全9曲、50分ほどのステージながら武藤昭平とは何者かを物語りつつ、先輩のために会場を温めておきました的な気遣いも感じられる。この先輩を立てるというところが、いかにも福岡県人らしい。
15分ほどの休憩後、穴井が登場する。ステージには穴井仁吉の他は誰もいない。なかなか、見られる光景ではないだろう。アコースティックギターで弾き語るのかと思っていたが、そうではなく、エレクトリックベースを抱え、弾き語る。ベースを弾きながら歌うミュージシャンはスティングやポール・マッカートニー、ジーン・シモンズ……など、枚挙に暇ないが、ベースだけで弾き語るというのはあまりいないだろう。ジャコ・パストリアスやトニー・レビンだと、弾きまくることはあっても弾き語ることはしない。穴井自身、当初はアコースティックギターでの弾き語りを考えていたらしいが、結局、ベースのみになった。
穴井は“まさか、こういう結果になるとは……まだ、終わってないけど(笑)。ある意味、ミスマッチ、それが良かったりする”と、前説(本番前にする観客への説明のこと)する。自分のオリジナルを作る時はギターやキーボードを使うそうだが、敢えてベースだけというのも“MAXIMUM DOWN PICKER”らしい拘りだろう。
穴井の1曲目は静かなバラード「TIMES」から始まった。同曲はシーナ&ロケッツの「グローリー・オブ・ラブ」(作詞:柴山俊之・作曲:鮎川誠)が好きすぎて、その影響から生まれたものらしいが、曲や歌詞などは穴井が作ったもので、構想自体は5、6年前からあったが、最近になってイメージが固まってきて、改めて歌詞をつけ、このために形にしたという。時間は様々な物語や景色を見せてくれる。“I can't stop thiking about you”という印象的なフレーズもある。鮎川誠やシーナのことを思って、作ったのかもしれない。
続いて、TH eROCKERS在籍時に作り始めて、曲自体の形は出来ていたという「ユア・メモリーズ」。ポップでキャッチ―な名曲で、いまだレコーディングなどもされていない、未発表曲である。まさに蔵出し。こんな隠し玉があったのだ。TH eROCKERSは1980年9月のメジャーデビューから、わずか、3年。82年6月に“最初”の解散をしている。バンド自体は短命だったが、もし、最後まで穴井がいて、もっと、曲作りに関わっていれば、また、違う展開もあったはずだ。
穴井はベースをただ、つま弾くだけでなく、一度演奏したフレーズをリフレインする“ルーパー”というシークエンサー(演奏したフレーズを記録し、半永久的に再生するエフェクター)を利用して、「Call me baby」を披露する。同曲はアカネ&トントンマクートのライブでも度々、演奏しているMOTO-PSYCHO R&R SERVICE(モトサイコ)の「got feel so good」の原曲らしい。曲の途中には柴山“菊”俊之のRubyの「ENGiN BOOGiE」のフレーズも歌い込んでいるという。ルーパーは「穴山淳吉」(下山淳+穴井仁吉)のライブで、下山が使用していたもので、彼からの影響だろう。同曲ではボトルネック奏法やハープの腕前も披露してくれる。この日のための“増し増し”ヴァージョンだ。
4曲目はTH eROCKERSをやめて、作った曲だという「君は家にお帰り」をベースで弾き語る。元々は78年にマーキーズ、ウインドブレイカーズの穴井貴恵子が作詞・作曲したもので、それに彼が手を加えたものらしい。穴井貴恵子は穴井仁吉のいとこで、穴井自身、TH eROCKERS脱退後、福岡に戻り、彼女のマーキーズに参加していた。穴井は“めんたいロック以前の曲です”という。サンハウスの「あて名のない手紙」やサンハウスに影響を受けた、人間クラブの「サタディナイト」など、ハードでパンクなロック以前にメロディアスで極上のポップスとしても通用する。そんなレパートリーが福岡のバンドにはあった。“パーティは終わったよ 夜も更けたし 送ってあげる”という歌詞は、穴井の優しさが溢れ出す。
同曲を終えると、武藤が再び、ステージに登場する。彼は、“懐かしい。ルースターズの「どうしようもない恋の唄」やサンハウスの「もしも」など、そういう歌がありましたね。後輩のモダンドールズなども影響を受けていた”と語る。
そんな話から伊藤恵美、大田黒恵美、ゴジラ、ハイ、博多パラダイス、80's ファクトリー、ベスト電器、ボーダーライン、カメレオン、ヒーコンスタジオ……など、ディープなめんたいロックファンでなければわからない固有名詞が飛び交う、「めんたいロック談義」となり、話し出したら止まらない。
穴井65歳、武藤55歳と、10歳の年齢差があるが、ともに福岡で生まれ育ち、めんたいロックの嵐の中、音楽を紡ぎ続けてきた二人だけができる話だ。
穴井はTH eROCKERS脱退後、福岡へ戻り、地元でも音楽活動をしている。山善などのレコーディングやライブにも参加している。そんな行き来をしているところが上京したままの福岡出身のミュージシャンとは違う。より地域密着型の活動をしているといっていいだろう。上の世代と下と世代を繋ぐ、穴井はそんな役割りも担っている。
武藤は高校時代から福岡のコンテストなどに入賞し、高校生ながら既に東京や大阪などへのツアーなども行っていたという。その名を知られる存在であった。1988年にThe Sham(ザ・シャム)としてジャーデビュー。その後、The ShamからTHE 100-S(ザ・ハンドレッズ)に改名。1991年にTHE 100-SはTHE MODSが当時設立したレーベル「スカーフェイス」に参加。1stミニアルバムを発表している。
70年代から80年代を中心に博多のロックシーンを綴った、西日本新聞の連載「九州近代歌謡遺聞 -ロック編-」をベースにまとめた『博多ROCK外伝』(田代俊一郎著)の“外伝”を聞かせてもらっている感じだ。
そんな会話が延々と続きそうなところ、武藤がしっかり進行役を請け負い、穴井と武藤のセッションが始まる。穴井のエレキベースとヴォーカル、武藤のギターで、「There is no fear」を披露する。同曲も穴井のオリジナルで、20年前に作った曲で、タイトルはジョン・レノンの「Beautiful Boy」に影響を受けたものだという。
続けて武藤がヴォーカルで、TH eROCKERSの衝撃のファーストアルバム『WHO TH eROCKERS』(1980年) に収録された名曲「非常線をぶち破れ」を嬉しそうに歌う。TH eROCKERSの穴井とともにTh eROCKERSのナンバーを歌う、彼らに憧れた世代には、こんな光栄なことはないだろう。さらに博多の伝説、山部YAMAZEN善次郎の名曲「グッバイ・ママ」を披露する。同曲は山善らしい、心に染み入るナンバーである。2曲とも変にいじらず、オリジナルに忠実なのは、その歌い手へのリスペクトだろう。武藤のヴォーカリストとしての誠実さが伝わってくる。
武藤が“勝手にしやがれの「フィラメント」をやらせてもらいます”といい、穴井がそのバッキングを務める。自らの曲を先輩が弾いてくれる。これも、また、こんな嬉しいことはない。この日しか、見れない光景だろう。スパニッシュ風味の楽曲に穴井がリズミックなベースで弾みをつける。
穴井は改めて“ここ何ヶ月はドキドキだった”と、このライブに挑む心境を語る。期待と不安(?)の中、時間は過ぎて行ったが、穴井はこの日のための準備を怠らなかった。備えあれば憂いなしだ。今後、このような形態でのライブを行うかわからないが、間違いなく、穴井は新たな一手をものにした。穴井仁吉の新境地を見せてくれた。齢65にして、留まることなく、成長し続ける穴井の今後が楽しみでならない。
最後は先日、活動を継続しないことを宣言した武藤とウエノコウジのユニット、武藤昭平 with ウエノコウジの定番曲「凡人讃歌」で締める。ラグタイムやウォーキングブルースを彷彿させるナンバー。同曲の歌詞には“瓦礫の中から華を咲かすのさ”というフレーズがある。この日、新たな美しい花が咲いた。時間は午後9時15分を過ぎていた。観客は彼らへの感謝を込め、万来の拍手で彼らを送り出す。
その拍手はアンコールを熱望するものへと変わる。数分ほど、過ぎて穴井仁吉と武藤昭平がステージに戻って来る。武藤は感謝と歓喜を込め、“嬉しいですね。やっぱりやり続ける事ですね。福岡の先輩に憧れた高校時代の自分にTH eROCKERSの穴井さんと、こうして一緒にステージに立てていることを教えてあげたい”と、告げる。
穴井は“鮎川さんは死ぬまで、R&Rを見せてくれた。続けてくれたことが励みになった。売れて、“ロックスター”みたいな暮らしはできなかったけど、こう言ってくれる後輩がいて、一緒に演奏できることが幸せだよね”と話す。
武藤も“豪邸なんて住まなくていい、それが幸せではない。新たな幸せを見つけた”と語り、さらに“最後にTH eROCKERS、やっていいですか?”と、穴井に問いかけ、山善の書いた彼らの名曲「可愛いアノ娘」を歌う。会場は興奮と熱狂の渦と化す。誰もが幸せを感じたはずだ。皆、笑顔で身体と心を揺らしている。
穴井仁吉と武藤昭平――ともにめんたいロックの歴史を作り、それを引き継いできた。ライブもトークもマニアックな話題満載ながら二人の九州ロック愛が溢れ出す。ライブもトークも聞くものの身体を熱くし、心が温かくなる。埼玉・所沢の「MOJO」にいながら福岡・天神の「Bassic.」にいる気分になった。二人のライブ&トークショー“めんたいロックナイト”(!?)を全国の方にも見てもらいたい。
穴井仁吉+武藤昭平 2024年2月17日(日) 埼玉県・所沢「MOJO」
■武藤昭平セットリスト
1 ヘミングウェイ(武藤昭平 with ウエノコウジ『STRANGERS』2015年)
2 ブラック・マリヤ(勝手にしやがれ『SUR BLUE』2005年)
3 百足(武藤昭平『名前を失くした男』2024年)
4 般若心経(武藤昭平『名前を失くした男』)
5 名前を失くした男(武藤昭平『名前を失くした男』)
6 ギネスの泡と共に(「踊ろうマチルダ)カバー 武藤昭平『名前を失くした男』)
7 ピノキオの鼻(武藤昭平『トゥーペア』2010年)
8 サル―(武藤昭平 with ウエノコウジ『マリアッチ・パンクス』2011年)
9 夢をあきらめないで(勝手にしやがれ『WILD ROOM』2001年)
■穴井仁吉セットリスト
1 TIMES(穴井オリジナル)
2 ユア・メモリーズ(穴井オリジナル)
3 Call me baby(穴井オリジナル)
4 君は家へお帰り」(穴井貴恵子・穴井仁吉オリジナル)
■穴井仁吉+武藤昭平セットリスト
5 There is no fear(穴井オリジナル)
6 非常線をぶち破れ(TH eROCKERS『WHO TH eROCKERS』 1980 年)
7 グッバイ・ママ(山部YAMAZEN善次郎 YAMAZEN&DYNAMITE『DANGER』1986年)
8 フィラメント(勝手にしやがれ『ブラック・マジック・ヴードゥー・カフェ』2006年)
9 凡人讃歌(武藤昭平 with ウエノコウジ『JUST ANOTHER DAY」2018年』
EC 可愛いアノ娘(TH eROCKERS『WHO TH eROCKERS』 1980年)
名前を失くした男/武藤昭平
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